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江戸期を代表する才人平賀源内は、1771年(明和8)年、時の天草郡代に提出された建白書『陶器工夫書』の中で「陶器土右之土天下無双の上品に御座候」と記している。
ここで言う「陶器土」とは天草陶石、源内はこれを絶賛する。
さらに『工夫書』は職人を仕込み、外国から輸入した陶器を手本にする等の工夫で「随分宜焼物出来可仕候(いい焼物が出来ますよ。)」とし、こうやって外国に負けない良質の陶器を作れば、日本人が高額な外国陶器を買うこともなく、むしろ「唐人阿蘭陀人」等がこれを買い求めて、それが「永代の御国益」になると明言する。
この建白書は、田沼意次のはからいで長崎遊学した折に源内が書いたものだが天草陶石の産地化を提言した初めての文書を、当時殖産興行の指導者平賀源内が作成したのは画期的である。
高浜村庄屋上田伝五衛門が天草陶石を使って開窯してから9年目のできごとだった。

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